はじめに
日本の医療提供体制は、医師等の医療従事者の過重な労働により支えられている現状がある。このため、医師等の医療従事者の労働時間短縮が喫緊の課題となっている。
2024年4月から、医師の働き方改革における新制度がスタートし、一般労働者と同じく医師の時間外・休日労働時間の上限が年間960時間以下を目指すことが取り決められた。
現在、こうした医師の働き方改革を実施するために、労務管理手法の見直しや、業務の見直し・削減、タスクシフトに取り組み始めている医療機関は多いが、その実施状況や具体的な効果の獲得については病院によって様々と言った状況である。
そこで今回、医師の働き方改革が唱えられ始める前から医師の働き方改革に取り組み、効果を上げている東京都葛飾区の医療法人直和会 平成立石病院 理事長の大澤秀一先生にインタビューを行い、医師の働き方改革が必要とされる背景や、当院での医師の働き方改革の取り組み内容・効果、今まさに医師の働き方改革に取り組んでいる医療機関に向けたアドバイスを伺った。 今後4回に分けてその内容を連載する。
医療法人社団直和会 平成立石病院 理事長 大澤 秀一先生 略歴
1991年日本医科大学を卒業、日本医科大学附属病院泌尿器科に入局。その後、2002年の当院開院と同時に入職。泌尿器科部長、副院長、院長を経て現職。
(1)医師の働き方改革が日本の医療機関で求められている背景、今後の変化
Q. なぜ今日本で医師の働き方改革が必要とされているのでしょうか
大きく2つの理由があります。
1つは、医師の過剰な労働環境の是正です。日本の医療現場では、医師は過剰に働いている様子が見て取れます。日本の医療は、「医者の時間外労働の上に成り立ってしまっている」とも言えるのが実情です。
その様な中で昨今、医師の過労死が大きな問題として取り上げられました。
これまで、医療の現場は「聖域」とされていて、医療従事者以外では、医療の現場の実態が分からないものであったのですが、医師の過労死などの問題を契機に、一般企業と同じように医師の働き方改革(労働環境の改善)をしていく必要性が唱えられたということです。医師の健康管理を各医療機関で確実に実行していかねばならない、とも言えます。
そもそも医療機関や一般企業すべてに当てはまることですが、経営者として「人を雇う」ということは、被雇用者の健康管理に対する責任を持つということでもあります。ところが医療機関の場合は、今までその辺りについては目を瞑っていたというのが実情ではないでしょうか。
もう1つは、医療機関の経営効率化が求められていることです。医療現場は、医師を始めとして勤務形態が明確ではないことが往々にしてありますが、厚労省としては勤務形態を明確にすることで勤務時間を適正化し、引いては人件費の抑制に繋げ、経営効率化の適正化を図りたい狙いがあります。
また、地方の規模の小さい医療機関の場合、医師数が少ないことから一人あたりの医師の負荷が大きくなっている状況です。医師の負荷が大きいなら是正をすべきなのですが、その対策として単に医師の数を増やすとしても、医師の給与は高額のため、病院の人件費の割合が膨らんでコストを圧迫することに繋がってしまうため、大量には医師の数を増やせません。
病院経営では、コストに掛かる人件費の割合は常に意識をしておく必要があります。医療の質と、人件費も含めた病院の財務状況を加味して、病院の経営というものを考えていかなければなりません。
一方で、医師の数が少ないとされる地域での医療を考えると、医師の労働時間の上限規制が始まると、医師が不足となる診療科も出てくることは否めません。特に救急医療と周産期医療では、医師不足が深刻化するのではないかと懸念される声もあります。
そのため今後は、医師の働き方改革と同様に、地域医療構想の中で、各地域の医療体制や医療の機能が患者数に応じて適切に割り振られていくことも重要なトピックとなります。地域の中で、医療の機能として不足しているものがあれば、地域の中で上手くやりくりをしながら、地域の医療を担保していくことが必要です。
Q. 来年の4月に医師の働き方改革の新制度が施行されますが、それに伴い実際の医師の労働環境にはどのような変化が生じるとお考えでしょうか
すぐに何か大きな変化が起こるとは考えにくいのですが、少しずつ医師の働き方には変化が起こっていくものだと考えます。
新制度の施行によって、医師の働く時間が制限されるということは、すなわち医師の収入にも影響を及ぼすということです。例えば大学病院を見てみましょう。大学病院は、正直なところ医師においては(民間病院などと比べると)決して高い給料とは言えない環境下にあります。そのため大学病院で働く若い医師などは、他の医療機関で医師としての副業(外来診療や手術助手等の非常勤勤務)を行うことで、一定レベルの生活が成り立つこともあります。
大学病院で働いている医師が、副業をせずに自分が所属する大学病院で一定の給与が得られることが理想ですが、実際はそうはいきません。そういった中で、今回の働き方改革が始まると、そのような大学病院の医師にも年間での勤務時間に制限が出来てしまい、満足な給与が得られないことから大学病院を離れてしまうことが生じてしまうとも限りません。この大学病院離れが、医師の働き方改革によって起こり得る大きな弊害の一つと言われています。
Q.医師の働き方改革によって、医師は大学病院や公立の病院から、民間病院への転職といった動きが加速する可能性があるということでしょうか。
その傾向はある程度強くなってくるのではないかと思います。一方で民間病院からすると、医師からの応募が集まってきたとしても、実際に雇用するとなるとやはり人件費を中心とした経営効率化の観点から、適正以上の医師は抱えることは出来ません。その意味では、民間病院は医師の働き方改革によって、今以上に人件費の適正化の観点から医師の人員数や勤務時間などにシビアになってきそうですね。
Q. 医師の働き方改革によって、医師の負担は軽くなる面はあるものの、一方で医療機関は経営のかじ取りに苦労する面もあるということでしょうか。
医師の働き方改革を実現するためには、ある程度医者の数は増やさないといけない部分はあります。しかし、繰り返しになりますが、その分だけ医師の人件費が増えてしまうと、今度は経営が成り立たなくなる。医療機関はこのあたりのかじ取りが難しいと思います。ご存じの通り、医療機関の収入と言うのは診療報酬で成り立っており、その診療報酬とは国が定めています。つまり、医療機関からすれば、予め収入がある程度予想できる状態となっているとも言えます。一般の民間企業の場合、価格設定というのは比較的自由に設定できるわけですが、医療はその点で一般企業と大きく性質が異なります。都心部であろうがそうでなかろうが、診療報酬は一律なので、患者数や疾患がある程度予測出来れば、医療機関としての収入額も予測できます。そこから逆算して、コストの中で人件費をどのように割り当てていくか、経営者はそのような考え方をしているわけです。
なので、医師を増やすと言っても収入はある程度決まっているため、簡単に増やせないわけです。よって、医師の働き方改革をきっかけに、地域医療構想についても、今後大きな変化の動きが起きてくることは想像がつきます。
( 完)
文責:山下耕平 / 髙橋寛宜
山下 耕平(株式会社CDIメディカル Consultant)
早稲田大学人間科学部卒、同大学大学院人間科学研究科修士課程修了。
医療機器メーカー、医療機関向けコンサルティング企業、医療系ベンチャー企業を経て、現在に至る。
高橋 寛宜(株式会社CDIメディカル Consultant)
慶應義塾大学商学部卒、同大学大学院経営管理研究科修了(MBA)
医療重電機器メーカー、株式会社コーポレイト ディレクションを経て、現在に至る