”前編”の方は和解となりました
後編はどのようなことを書こうかなと思っている間に、前編で取り上げました「オプジーボ訴訟」の方は和解が成立しました。解決金として小野薬品から本庶先生に50億円を支払い、それとは別に京都大学内に新たに設立される「小野薬品・本庶記念研究基金」に230億円を寄付する、という内容です。金銭的な総額としては本庶先生の言い分がほぼそのまま通った形という見方ですが、今回は”50億円と230億円を分けた”ところがミソなのかなと思います。個人的には、知的財産のロイヤルティ料率のあり方そのものがあまり議論されなかったことは残念でありますが、一石を投じたことは確かですし、基金をもとに若手研究者の方に大きく羽ばたいて頂ければそれがよいことだと思います。
エリザベス・ホームズ氏の訴訟
さて、後編です。”血液一滴で数百種類の検査を実現”するとして一時は時価総額が1兆円を超えた米国のユニコーンスタートアップ企業セラノスの創業者であり、 自身も”the world’s youngest self-made woman billionaire(自力でビリオネアになった最年少の女性)”として脚光を浴びたエリザベス・ホームズ氏が詐欺罪で告発されている裁判です。革新的技術と謳って提供されていた血液検査が、実際にはほとんどが一般的な機器を使った、しかも不正確な検査であったということが明らかになり、当局から検査業務の禁止を通達される事態となりました。”独自技術”といえる一部の検査についても、その内容は革新的とは程遠く、検査技術として成立するレベルにはなかったものと思われます。
事件が明るみに出るにつれ顧客企業や証券取引委員会など各方面から訴えられることとなり、これまでにセラノスとしては検査費用を払い戻したり、和解金を支払うことによって和解をしていますが、9月初旬にホームズ氏個人を対象にした詐欺罪の裁判がはじまりました。有罪となれば最高で懲役20年にもなるそうで、その行方に注目が集まっています。11月の半ばから本人の証言がスタートしていますが、概ね検査室の責任者など他の誰かに責任があるとして無罪を主張しているようです。
一連の訴訟に至る顛末については、数百件の聞き取り調査をもとに記した書籍、『BAD BLOOD』(集英社)が発売されています。エリザベス・ホームズ氏の華々しい成功と急速な転落の周りには、私でも知っているような政財界の有名人が何人も登場し、秘密主義の緊迫した会社の中でのパワハラあり、ナンバー2との恋愛あり、元ご近所さんとの法廷闘争あり、そしてジャーナリストによる告発ありと、もう”事実は小説より奇なり”を地で行くスキャンダルてんこ盛りの内容です。さらに事件後の2019年にはホテルグループの御曹司と結婚、そして妊娠による裁判の延期など話題は続き、ドラマ化や映画化がされるのもさもありなんという感じです。
ご参考:『BAD BLOODシリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相』(集英社)
Fake it till you make it. というけれど
この事件については、シリコンバレーの”うまくいくまではうまくいっているふりをしろ”という文化を象徴するものだ、というコメントが散見されます。スタートアップなりベンチャー企業がその技術や事業についてより魅力的に見せようとするのはある意味では当たり前のことで、その中で”開発した”ものやサービスだけでなく”今後実現するはず”の内容を含めてアピールすることもごく一般的な話だと思います。あんまりうまくいっていなさそうな、自信なさそうな経営者にはキャピタリストも投資したくはないよね・・・という意味でもそうしたことは必要なことだとも思います。
ただ、このセラノスがやっていたことは(書籍やニュースの情報が正しいとするならば)遥かにその範疇を超えているといえそうです。そもそもの自社技術がだいぶ”うそっぱち”であるということも問題ですが、それよりも相当に不正確な検査を、例えばプロトロンビン時間などの人の生き死に関わるものに至るまで”実際に提供していた”ことが問題で、そのまま続けていたら本当に死者が出ていた可能性もあったと思います。これはやっぱり「詐欺事件」として考えられるべき事件であり、何かしら文化的な、”こういうこともあるよね”といったニュアンスで語られてはいけないものなのではないかなと思います。
本来、あまりメディカル・ヘルスケアを”他とは異なる特殊な分野”と考えるのは好きではありませんが、こういうところはやはりきちんとした線引きがあって然るべき部分だと思います。私自身も、随分と前ですが検査関連のベンチャー企業をお手伝いしていたことがありまして、まさに”ちゃんと検査出来ているのか?”ということでも頭を悩ませたりしたものなので、今回のコラムはその時のことも思い出しながら書きました。
こうしたニュースが業界そのものに暗い影を落とすのではないか、と懸念する向きもありますが、スタートアップ投資の世界はいま、空前の、うなぎ登りの、といっていいレベルで盛り上がっているようなので余計な心配かもしれません。また、”Liquid Biopsy”などの、本来セラノスが実現したかったような?検査技術がまさに新しい価値を世の中に提供しはじめてもいます。ライフサイエンス分野のコンサルティングでもこうした新技術の動向は非常に重要だと考えていますので、今後も注視していきたいと思っています。
文責:伊藤 愛
伊藤 愛(株式会社CDIメディカル 執行役員)
大阪大学大学院薬学研究科修士課程修了(薬剤師)。京都大学大学院医学研究科修士課程修了。
商社、独立系ベンチャーキャピタル、ヘルスケア・バイオベンチャー企業、経営コンサルティングファーム等を経て現職。ライフサイエンス・ヘルスケア分野を中心に、中期経営戦略等、新規事業戦略、海外展開、オープン・イノベーション戦略等、戦略立案から実行支援を含むコンサルティングを実施。