県立医科大学病院の経営改革和歌山県立医科大学前学長との対談

紀伊半島西部に位置する和歌山県は、世界で初めて全身麻酔を用いての手術を成功させた華岡青洲の生まれ故郷にあたります。その様な医聖を育てた和歌山県、98万人の命を医療サービスだけではなく、教育・研究の面からも守り続けているのが、和歌山県立医科大学(以下、和医大)と県内唯一の県立病院、和歌山県立医科大学付属病院(以下、和医大付属病院)です。近年、特に発展、成長が目覚ましい地方の医系大学注目の的、和医大とその付属病院での経営改善の軌跡を板倉徹前学長と共に振り返ってみたいと思います。

【大学病院、県立病院としての経営の難しさ】~相互理解の醸成~

宇賀)和医大で最も大きな事業にあたる和医大付属病院の経営は、大学病院としての経営の難しさ、県立病院としての経営の難しさ、更には地方病院としての経営の難しさを併せ持っている病院だと思います。そういった経営の難しさに対するご意見をお聞かせ下さい。

板倉)大学病院の経営の難しさは、ガバナンスが効きにくい組織をマネジメントする難しさです。大学の学長や理事長という立場であったとしても実質的に人事権を持っているとは言いにくい。一般的な会社組織では恐らく、考え難いものではないでしょうか。また、大学自治というものは、明治や大正頃の時代から脈々と形成されてきたものなので、なかなか変わるものではありません。大学とは、独自に確立された教室や診療科の中だけで各教授が力を持ち続けている特殊な組織の集合体なのです。まさにガラパゴスの様、と言いたいところですが、ガラパゴスであれば独自の進化系があるにもかかわらず、大学にはなかなか進化すらもありませんのでガラパゴスよりも深刻かもしれません。幸いなことに和医大での任期中では、各教室や診療科の協力が得られたために、その点は上手く進んだという実感があります。具体的には大型の医療機器購入や手術室の増室、新棟増築などでの決定がスムーズに進みました。

次に県立病院の経営の難しさは、県と関係性を構築していくことの難しさです。たとえ独立行政法人だとは言え、和医大の学長が県知事と喧嘩をしてしまっては病院経営が上手く行くはずもありません。県知事は人事権を持っているわけではなく、また大学側は経営の自主性も担保されているものの、国からの交付金が県を通じて支給されている以上、議会に呼ばれることはありますし、県会議員からも色々と意見が出ることもあります。また、選挙によって知事や議員が代わってしまうこともありますので、せっかく築いた関係性もゼロからということもあり得るのです。前述の大学病院としての経営の難しさとも重複しますが、こうした難しさを身内のはずの教授陣が理解していないことも難しさをより深刻
化させているかもしれません。地方の公立大学の多くは、こうした状況下で経営していく難しさを抱えているのではないでしょうか。独立行政法人化していない場合には更に深刻な問題だと思います。幸いなことに和医大とその付属病院は、県知事の理解や助けによって独立行政法人化するタイミングから今日に至るまで自由度高く、経営にあたることが出来ました。所謂、単なる県立病院という立場であったならば最新鋭の医療機器である手術支援ロボットの「da Vinci」(ダヴィンチ)を設けることすらままならなかっただろうと思います。和医大が他の総合病院に比べ、しっかりとした医療設備を配置出来ている背景には、県知事や県の評価委員会の方々が和医大の独立行政法人化に際して良いスタートが切れる様にと多大な協力、ご支援をしてくれたことが最も大きな要因としてあります。当時のこのご厚意には今でも感謝の気持ちを持ち続けています。

最後に地方病院の経営の難しさは、人口減少にどう向かっていくかという難しさがあります。和歌山県もご多分に漏れず人口減少の傾向にあります。従って、医療サービスを提供する市場をどう見直すのか再設定の必要性があります。ところが、その前には2つの課題があるのです。1つは大学の使命として、自分たちのことだけではなく地域の公立病院をどう支えていくのかも一緒になって考えなくてはならないという点です。和医大付属病院だけ良ければ、という考えでは県内の医療はもはや崩壊してしまいます。そこで和医大では地域の公立病院にとって最も深刻な問題である医師確保への支援として、これまで個々の教授のもとへ来ていた地域の公立病院の医師派遣の要請を大学で一元管理する仕組みを整えました。各教授の考え方によってムラが生じていた地域医療体制を大学として戦略的、計画的に支援していける仕組みを築いたのです。その結果、学長のもとへ医師派遣の要請が届き、学内委員会で協議を経て、各教授に医師派遣を指示するフローが構築できました。もう1つは県立病院という立場でもあるので、安易に県外に市場を広げれば良いというわけにはいきません。その一方で大阪南部や全国各地、更には海外からも多数の患者さんが和医大付属病院の先生を頼って訪れてきますし、大阪南部の病院からの医師派遣の要請も実際にはあるのが事実です。これがまた県立病院という立場だけで考えると対置する場合もあり非常に難しい側面があるのです。この点に関しては今後も熟慮断行していく必要があるでしょう。

【病院経営の要諦】~「先ずは良い病院にして患者さんに来てもらう」~

宇賀)より良い病院づくりに余念がない様に見受けられます。そうしたモチベーションの源泉には何があるのでしょうか?

板倉)「先ずは良い病院にして患者さんに来てもらう」、そして大学側は「患者さんをしっかりと診る」という考えがベースとしてあります。大学の使命の一つには、「学生たちを育て、地方での活躍を後押ししていくこと」があると思っています。ですので、環境面で言うならば、大学には最先端の医療設備が備わっていなければなりません。大学が他の病院よりも設備で負けている様では話にもなりません。大学に医療設備がないので他の病院に行って手術しますという話などはあってはならない話なのです。更に組織の面で言うならば、かつては住民からの人気が近隣の総合病院に比べて低い時期もありました。その理由は、その総合病院は医師の人気があったので、腕の立つエース級の医師が他の大学から集まっていたのです。また、入院はスムーズに行われ受入れ体制もしっかりとしており、救急車を断ることもなかったのです。そうした姿勢を和医大付属病院は謙虚に学びました。その結果、現在での立場は明らかに逆転しました。脳や消化器、心臓といった主だった診療科において和医大の手術件数はその総合病院に比べて劣ることなどはありません。和医大付属病院側の組織体制がそれだけ強固になった表れだと思います。
「患者さんをしっかり診る」という考えに関して、和医大はもう一つ、紀北分院という病院があるのですが、正直なところ以前までは、慢性的に患者を診ない、経営も赤字といった経営状況が続いていました。人件費比率も考えられないような時期があったほどです。ところが現在では、新たに分院長に着任した有田幹雄先生のおかげでそうした体質から脱し、回復傾向にあります。やはり大学とは言え、「患者さんをしっかり診る」というのは医師の原点ではないでしょうか。
とは言え、まだまだ和医大全体としての経営面においては明るい話ばかりではありません。経営母体が県立の時代から現在に至るまで、人件費をしっかりと管理できていました。その結果として、黒字経営を続けることもできていたのですが、医師の立場でこうした人件費をどこまで意識しているのかという点には未だ危機感を拭いきれません。医療の質をしっかりと固めつつも、そうした組織全体の経営にも気を配って行く必要があると考えています。
決して安易な人件費削減、リストラを実施すべきと言っているのではありません。以前、国家公務員の給与削減が実施され、それに準じて地方公務員、自治体病院と挙って給与削減した際にも、和医大ではプロパー職員の給与は一切削減しませんでした。何故ならば、
安易に給与を削減するよりもむしろ「収入を増やすべき」、その為にも「患者に来てもらうべき」、そうなる為には「先ずは良い病院にしようよ」、という考えがあったからです。幸いにも知事がこうした考えに理解をしてくれました。経営とは実に厳しいものだと思います。
近年、県内の大半の医療関連での会合の場において、和医大の先生が中心的な立場でとなって各々の会合を引っ張ってくれています。今後は看護部や薬剤師、臨床検査技師といった各分野のスタッフが医師同様に県内の医療を引っ張って行くことにも期待をしています。

候補① (3)

板倉 徹(いたくら とおる) 現、西村会向陽病院 名誉院長(脳神経外科)
【ご経歴】昭和45年、和歌山県立医科大学卒業、昭和52-54年、米国カリフォルニア工科大学生物学部門留学を経て、昭和58年、和歌山県立医科大学脳神経外科講師、平成4 年、同助教授、平成6年同教授、平成18年4月、和歌山県立医科大学附属病院院長(脳神経外科教授兼任)、平成20年4月-21年12月、和歌山県立医科大学医学部長(脳神経外科教授兼任)、平成22年4月-26年3月、和歌山県立医科大学理事長・学長、平成26年4月、現職に至る。
【所属学会および役職名】日本脳神経外科学会(特別会員)、日本脳卒中の外科学会(名誉会員)、日本脳腫瘍の外科学会(特別会員) 日本高次脳機能学会(理事) など
【著書】「ラジオは心の疲れをそっと取り除く」 (ぱる出版) 2013、「戦国武将の脳」(東洋経済新報社)2009、「同時に2つのことをやりなさい」(フォレスト出版)2009、「ラジオは脳にきく」 東洋経済新報社2006、など

【大学経営、病院経営におけるコンサルティングファームの付加価値】

~民間的な発想から学ぶ新たな経営アプローチ方法の導入~

宇賀)自ら考え、行動を取り、学ぶ姿勢もお持ちであれば、コンサルティングを利用する必要もないのでは、という考え方もあると思います。コンサルティングファームを活用した背景には何があるのでしょうか?

板倉)確かに自分たちで様々な取組みをして来ましたが、あくまでも閉鎖空間のなかで考え、行動してきたに過ぎません。従って、外部からの評価というものが極端に少なかったのです。医療従事者側で言えば、僅かではありますが論文の数が減ってきたこともそうした要因と言えるかもしれません。また、事務側で言うならば、和医大の事務は和歌山県からの出向者が大半を占めています。その為でしょうかエリート意識が強すぎる傾向にあります。ですので、関連病院や顧客訪問を誘うと直ぐに断って来ますし、実際に今回のコンサルティングファームとの取組みへの反発も強かったのは事実です。その一方で、例えば診療科別の管理会計の仕組みを構築しろと20年前から言っているにもかかわらず、いつまでも出来ない理由ばかりを並べていました。ですが、今回入ってもらったことでようやく分析、管理が出来る仕組みが構築されました。現在でもその仕組みを利用しています。また、産学連携を強化することも自分たちでは出来ず、入ってもらわなければ今回の様に大手企業との契約を得ることもありませんでした。幸いにも事務は誰が長になってもしっかり仕事をすることが習慣化しているので、手を抜くことは一切ありませんが、もう少し民間的な発想や経営を学ぶべきだというのが当時の背景としてはありました。私自身が経営というものを多方面から学ぶことが好きだというのがあったのも大きかったかもしれませんね。

候補② (2)

宇賀)最後に今後の和医大や和医大付属病院への思いをお聞かせ下さい。

板倉)臨床だけではなく、教育・研究とのバランスは重要です。幸いにも和医大には「大学であるにもかかわらず経営を重視するとは何事だ!」という人がいなくなってきました。経営をしていくうえでの厳しさは多々ありますが、その様な中でもしっかりと経営をしていくべきだと思っています。毎年運営費が減少しているのですが、多くの大学は臨床医学の水準を下げるわけにはいかないと基礎医学の人員を減らす決断を致しました。一方、和医大はこの様な状況の中にもかかわらず、臨床医学を維持しつつ基礎医学の講座を2つ増やしました。こういう時期だからこそ基礎医学を重視していきたいという考えがあったからです。
ミャンマーの医学生と触れ合う機会がありました。彼らは目の輝きが日本の恵まれた学生たちとはまるで違います。例えばミャンマーではご献体一体に対して100人の学生が学んでいるのに対して、日本では4人の学生で一体といったところでしょうか。やはりそういったところでもミャンマーの学生たちは必死になってご献体から学ぼうと身を乗り出して観察し、先生の話を必死に聞いています。時にはベランダの様なところから必死になって話を聞いている学生もいるほどです。日本も昔は同じだったのだろうと思うのですが、そういった必死さが報われる様な支援も個人的には取り組んでいきたいと考えています。

宇賀)貴重なお話をお聞かせ頂きまして、ありがとうございました。

【編集後記】

板倉先生とCDIメディカルの対談は桜の蕾がまさに今から開こうかという3月の爽やかな陽気のもと開かれました。和医大付属病院には県内だけではなく、大阪南部をはじめ、全国各地や海外からも多くの患者さんが訪れています。もはや一つの地方の大学病院、県立病院という枠組みでは説明し難いときさえあるほどです。また昨年度には、住友電気工業株式会社と包括的な契約のもと、医療の発展に向け共に研究、開発していくことが記者発表されました。これまで陣頭指揮を執ってこられた板倉先生は本年3月末をもって学長をご退任されました。今後は新たな経営体制のもとで蕾が開花し、そして次の蕾、開花に向けてよりいっそう素晴らしい大学、病院となると思います。これからも引続き応援して行きたく、一先ずは筆を置かせて頂きつつ、次の第二章を皆さまのもとへお届けできる日を楽しみにしています。蛇足ではございますが、板倉先生が代表を務めている和歌山県のサッカーチーム、「アルテリーヴォ和歌山」のJリーグ加盟、ご発展にもどうぞご期待ください。

平成26年5月14日
(文責 宇賀慎一郎 株式会社CDIメディカル 最高執行責任者)